Avoir ~sowaka's blog

Avoir ~年齢を重ねるごとに輝く:40代に突入してようやく自分を受け入れ、生まれ変わりました

久しぶりの大自然の中で癒されまくったリトリート体験

いつも読んでくださってありがとうございます。


土曜日は楽しみにしていたサイレントリトリート。道中の景色が素晴らしすぎてすでに癒されまくった。やっぱり私は大自然が大好きだと思ったし、暑すぎず、風も心地よくて最高の環境だった。

 

人が多い(と言っても20人弱)のが不安ではあったけど、沈黙というルールのおかげで話さなくてよかったからすごく楽だった。


途中、恩人を思い浮かべて、その人の幸せや健康を祈るように言われた時、なぜか涙が止まらなくなった。いつもそう思っているのに、どうしてあの場面で泣いてしまったのか自分でも未だに分からないし、その後も泣きそうになるのを堪える場面が何度もあって戸惑った。


さらに自分に対しても同様に祈るように言われた時、今まで周りの人のことばかりで自分のことは考えていなかったと気づいた。


あっという間に1日が終わって、帰りはひとりでいる私に声を掛けてくれた人と話しながら歩いた。大人数がいる場所がすごく苦手で、いきなり増えた職場の飲み会もずっとパスしている社会不適合者だけど、やっぱり1対1なら比較的気負わず話せると改めて思った。


でも、前日会った友達との会話では違和感を覚えてしまった。全く悪気はなくて、私の受け取り方が悪いだけなんだけど、「こうしたらいいのに」とか、「どうして~しないの?」って言われると、できない自分が悪いと思ってしまう。


簡単にできる人には分からないし、できるならこんなことにはなっていない。それに「攻撃は受ける側に問題がある」と言い切ったのも、私は受け止められなかった。もちろんそういう側面もあるけど、その場面を知らない人が簡単に決めつけることはできないと思う。


結局、その辛さは本人にしか分からないし、他人が口出しできるようなことではないから、私が話を聞く時は何も言わない。同じように、私のことは誰も理解できないという前提でいれば、分かって欲しいと無駄な期待をすることもないと気づいた。


社会はやっぱり、仕事はいい加減でも口のうまい他責思考の人の方が生き残れるところで、さらにそういう人たちの一部は少数派を受け入れないどころか排除しようとすることがあるからしんどい。


でも、私のような極端な自責思考はよくないけど、他責思考にはなりたくないから、自分を受け入れるしかないと思うし、自責思考のおかげで努力しようと思えるのはいいことでもあるのかもしれないと思える。


そしてサイレントリトリート中に思いがけず泣いてしまったことで、まだどうしてかは分からないけど、そのことについて考えることによって、より深く自分と向き合うことができている気がする。


元々尊敬する人たちの話を聞くことが大好きで、直接会うことが難しくなってしまった今、テレビやYouTubeトーク番組を視聴することにハマっていて、ものすごく勉強になっている。


私は全く言語化できないどころか自分で自分のことが分かっていない部分がかなり多い気がするけど、そのあやふやなところをズバッと言ってくれてスッキリしたり、そもそも気づいていなかった、自分と人は違うということと、違っていいということが分かってすごく救われた。


そして、私にとっての恩人はやっぱりひとりしかいなくて、本当に本当に辛い思いもしたけど、当時の私があまりにも未熟だったということに気づかせてもらえたし、同時に本当に本当に幸せだったと今は心から思えるから、もう感謝しかない。間違いなく人生で一番の出会い。奇跡だと思う。


今の私があるのはこれまで出会った全ての皆さんのおかげです。


どうか皆さんの健康と幸せがいつまでも続きますように。いつも本当にありがとうございます。